#058 大嶌 一平『不撓のエナジー』

どれほど努力を重ねても思い通りにはいかないのが人生だ。一方で、ふとしたきっかけから思わぬ活路が開けることもある。

2017年の初頭。当時名城大学の3年生だった大嶌一平は、ラグビー部のスタッフからニュージーランド短期留学の提案を受けた。ちょうど就職活動が本格化する時期、向こうのシーズンが終わる8月末までプレーすれば、帰ってくる頃にはたいていの企業の新卒採用枠は埋まっている。一方で、ずっとニュージーランド行きの夢を抱いていた若者にとっては、またとないチャンスだった。

そこで「その年の就職はいったんあきらめ」、「この一年、本気でラグビーで上を目指す」と覚悟を決めてニュージーランドへ渡る。ラグビー王国でも屈指の強豪地区であるクライストチャーチのクラブに所属し、クルセイダーズの選手育成機関にも通って腕を磨いた。これが自分にとってラグビー選手としてのラストチャンス。そんな思いだった。

すると道は開ける。

ちょうどその頃、三菱重工相模原ダイナボアーズのコーチを務めていた安藤栄次(現大阪体育大学ヘッドコーチ)が指導者の勉強のため同地に滞在しており、たまたま練習グラウンドで顔を合わせる機会があった。週末のゲームも観戦してくれることになり、試合後、「帰国したらウチの練習に来てみないか」と声をかけてもらう。自分の中で、何かがコトンと音を立てて動き出した瞬間だった。

8月末に帰国するとすぐにコンタクトをとり、チーム練習に参加した。やがて秋の東海学生リーグが開幕し、大嶌は進路未定のまま、大学4年のシーズンを迎える。卒業後の見通しが立たない状況でプレーするのは落ち着かなかったが、かすかな可能性を信じて待つしかなかった。そして、2017年も残りわずかとなった冬のある日、ダイナボアーズから待ちに待った連絡が届く。朗報だった。

「ホント、運がよかったと思います。もしあの時ニュージーランドに行ってなかったら、僕は今、ここにいないですから」

高校や大学で実績を残してきたエリートがひしめく国内最高峰リーグにおいて、そのキャリアは異例だ。

5歳の時に東大阪ラグビースクールでラグビーを始めたが、中学は地元の意岐部(おきべ)中にラグビー部がなく、自転車で30分ほどかかる別の中学に集まって合同チームでプレーした。高校は全国屈指の名門、常翔学園に進学するも、3年時は大阪予選決勝で東海大仰星に敗れ花園出場を逃す。重一生(現コベルコ神戸)や松井千士(現横浜キヤノン)らを擁し全国優勝を達成したひとつ上の学年と、髙橋汰地(現トヨタ)など潜在力ある選手がそろう下の学年に挟まれた世代で、メンバー入りする選手も少なく、晴れ舞台とは縁遠い3年間を過ごした代だった。ちなみに現在、高校の同期でリーグワンクラブでプレーしているのは、大嶌だけだ。

「僕も絶対的なレギュラーというわけではなかったので、『まさかあいつが』と驚いている人も多いと思います。常翔学園では珍しいくらい弱い代でしたが、お互いに励まし合いながらがんばって。そのぶん今でも仲がいいし、結束は強いですね」

目立った実績がなかったことから強豪大学のスカウトの網にはかからず、卒業後は5歳上の兄も通った名城大学へ進む。そこでは小さくないカルチャーショックも味わった。

もっとも苦労したのは部員間の温度差だ。地域リーグの中堅チームには、自分のように全国区の高校で鍛錬を積んできた者もいれば、ラグビーへの情熱がさして強くない部員もいる。それでもそこで腐らず、向上心を持ってトレーニングに打ち込んだ。ひたむきに、コツコツと努力を重ねていると、次第に周囲の仲間にも熱が伝わり、その仲間がまた新しい仲間を巻き込む形で、熱意の輪はどんどん広がっていく。その結果、1年時はBリーグとの入替戦に回ったチームの成績は、年を追うごとに右肩上がりで上昇していった。

「僕は本気でラグビーをやりたかったし、名城大に行ったからこそ、経験できたことがあると思っています。もし強豪大学に行っていたら、たぶん1年生から試合には出してもらえなかった。そうなれば今、こうしてラグビーをやっていなかったかもしれません」

もっとも、そこから先のステージに進むのが簡単ではないことは自覚していた。社会人チームのリクルーターの目は、主要リーグ所属ではない地方の大学のグラウンドまではなかなか届かない。そんな厳しい現実を知っていたからこそ、今、プロ選手としてとことんラグビーと向き合える幸運に感謝する。

「トップレベルでやりたいという思いはずっとありました。でも、それが難しいのもわかっていた。たまたま大学4年生の時にニュージーランド留学の話をいただいて、チャンスだと思ってガムシャラにやったら、こうなったという感じです。本当にあの時、ニュージーランドに行ってよかった」

なだらかではない道を歩み、さまざまな蹉跌を乗り越えてたどり着いた、念願の舞台。いざそこに立ってみると、そうした人とは違うキャリアが、自分にとっての強みになるとも感じた。

「こういう経歴でもやれるというところを見せたいですし、同じ人間ですから、実際にやってみたらそこまで差はない。社会人になるまでいろんな経験をしてきたので、巡ってきたチャンスは絶対に逃したくないという気持ちもあります」

ダイナボアーズ加入1年目の2018シーズンは出場なしに終わったが、2年目の2020シーズンは新型コロナウイルスの影響で打ち切りになる第6節までで2試合の出場機会をつかんだ。3年目の今季はさらに飛躍を遂げ、リーグ戦3試合、プレーオフ2試合の計5試合に出場しトータル131分プレー(1先発)。クボタやトヨタ自動車、神戸製鋼などトップ4を争うチームとも対戦し、「やっと、本当にやっと、トップリーガーになってきたという感じです」と笑う。

「自分ではそんなつもりはなかったのですが、1年目は正直、お客さんみたいな状態だったと思います。2年目はやっとメンバーに入れるようになってきた頃にコロナで中止になってしまって、3年目の今年は、一番『トップリーグでやっている』と実感できたシーズンでした。1試合ごとにすごく成長できている感覚があったし、自信を持って試合に臨めるようになってきた」

SHとしての自分の持ち味がトップリーグでも通用すると実感できたし、みずからの前向きな姿勢によってチームを活気づけられることも学んだ。たくさんの収穫を手にし、このステージでプレーできる喜びを全身で味わった。だからこそ今、「来シーズンがすごく楽しみですし、早く試合をしたい」と意欲を口にする。

元気。言葉にするとどこか青臭くも感じるが、さまざまなキャラクターのひしめく人間集団においてそれがもたらす価値は計り知れない。元気のいい選手はチームの宝だ。ダイナボアーズでの大嶌一平も、きっとそんな存在になる。

Published: 2021.11.22
(取材・文:直江光信)