#057 岩村 昂太『待望の日々。』

トップリーグに代わる国内最高峰リーグとして発足する『ジャパンラグビー リーグワン』の概要が発表された。開幕は2022年1月7日。日本ラグビーの新時代の幕開けに際し、多くの選手、チーム関係者が、決意を新たにしていることだろう。

そしてここにも、ひときわ強い思いを胸に新たな環境でトレーニングを重ねる男がいる。岩村昂太、27歳。5年あまり在籍したトヨタ自動車ヴェルブリッツを今春退団し、この7月より三菱重工相模原ダイナボアーズの一員となった。

181センチ、86キロの大型SH。これまでサクラのジャージーにこそ手は届いていないものの、そのキャリアは華やかだ。東福岡高校の2、3年時に花園連覇を達成し、同志社大学ではルーキーイヤーから公式戦を経験。トヨタ自動車でも1年目の2016-2017シーズンに10試合出場(9先発)を果たし、加入3年目には副将にも指名されている。

もっとも、過去2季は同じポジションで日本代表の茂野海人がチームの共同キャプテンを務めていたこともあり、なかなかチャンスが巡ってこなかった。プレータイムをもらえばパフォーマンスで応えられる自信はあったけれど、ひとりしか出られない専門職でかつ周囲との連携が重要な役割だけに、いったん機会から遠ざかるとふたたびそれを取り戻すのは簡単ではない。悶々とした思いを抱くうちに、環境を変えて一からチャレンジしたいという気持ちが湧き起こった。

「もともとプロ選手になりたい気持ちがありました。それに加えて、ここ2年モヤモヤした時間を過ごす中で、今までがんばってきたラグビーをやり切りたいという思いがどんどん強くなって。年齢的にもこのタイミングを逃せば移籍するのは厳しくなる。後悔しないよう、ラグビーをやり切ろう、と」

新天地にダイナボアーズを選んだのは、移籍先を探す過程でまっさきに手を挙げてくれたからだ。自分を必要としてくれるチームで、プロとしてとことんラグビーを突き詰めたい。これから上を目指していく可能性に満ちたクラブであり、さまざまな面で地域と一体になって盛り上がっていこうというエネルギーを感じる点も、大きな魅力だった。

「トップリーグに昇格して勢いがあるチームだと思いましたし、実際に今シーズンの対戦ではトヨタも苦しみました(スコアは29-40)。細かいところを詰めていけば、まだまだ強くなれるという可能性を感じる。街のいろんなところにダイナボアーズの自動販売機や垂れ幕があったりして、地域にすごく応援されているチームということも、実感しています」

プレーヤーとしての最大の特長は、長いリーチからくり出される正確でよく伸びるパスだ。高校時代はプレースキッカーを務めていたように足技にも定評があり、高々と舞い上がるボックスキックをはじめとしたバリエーション豊富なキックは、ゲームを組み立てる上での貴重な武器となる。コンビを形成するSOの持ち味を引き出すタイプのSHといえるだろう。

「コリン・スレードのプレーを見ていると、立ち位置がすごく広くて、自分からどんどんスペースへ仕掛けに行く感じがある。自分のパスのスピードや長さによって、よりスレードを生かせるんじゃないかと思っています」

岩村本人がもうひとつ楽しみにしているのは、同じポジションの先輩である榎本光祐の存在だ。榎本とは5歳上の兄が大分舞鶴高校の同期で、その頃から家族ぐるみの付き合いがある間柄。自身が高校2年の時に当時大学生の榎本からパスを教わり、格段にスキルアップを遂げたという経緯もあって、ダイナボアーズで切磋琢磨できることには特別な感慨があるという。

「こうしてエノさんと同じチームでやれるのも縁だと思いますし、またいろんなものを吸収したいですね」

2017年の夏に前十字靭帯と内側側副靱帯断裂の大ケガを経験し、過去2シーズンは公式戦から遠ざかっているものの、その間に体との向き合い方やコンディショニングを学んだ。現在の自身の状態を、「これだけいいのだから試合に出たいと思うくらい調子がいい」と笑顔で表現する。ダイナボアーズには7月中旬のトレーニングから合流しており、ピッチの内外に渡るひたむきな姿勢で、チームに新しい刺激をもたらしている。

りんどうヤングラガーズで4歳からラグビーを始めた。恵まれたポテンシャルとは裏腹に「がんばることができない人間だった」という自分が変わったのは、東福岡での3年間だ。全国随一の強豪校で才能と意欲を兼ね備えた仲間たちと競い、高め合う日々を通じて、「絶対に試合に出たい、負けたくないという気持ちが芽生えた」。そして、そのために努力することの大切さを心に刻んだ経験が、ラグビープレーヤーとしての自身の原点だと語る。

東福岡の同期には、2020シーズンにサンウルブズでプレーした木村貴大(現サントリー)、2015年のラグビーワールドカップと2021年の東京オリンピックに出場した藤田慶和(現パナソニック)など、最高峰の国際舞台に立った者もいる。2019年のワールドカップ日本大会を戦った坂手淳史(現パナソニック)も、学校こそ違えど1993年生まれの同世代だ。そうしたかつてのチームメイトやライバルたちの活躍に、「メチャメチャ刺激になるし、負けていられないという気持ちはあります」と心境を口にする。

そしてその思いが、プロ選手としてチームを移籍する決断を後押しした。

「活躍している同級生世代に対して、試合に出られずもどかしさを感じている自分がいました。ただ、プロの世界は力が通用しなければ終わり。家族を守らなければならないので、そこは強く責任を感じています。ありがたかったのは、ずっと僕が悩んでいる姿を見ていた妻が、『後悔しないようチャレンジして』といってくれたこと。すごく助けてもらいました」

リーグワンでは、参加する各クラブに組織としての事業性が求められる。そこで成功のカギとなるのが、よりプロフェッショナルな集団になる、ということだ。プレーヤーはパフォーマンス、運営側は収益を高めることでチームに貢献し、地域に熱狂とエナジーをもたらす。そして地域が活気づくことを追い風にして、さらに強いチームへと成長していく。そんな幸福なサイクルを作り、社会においてラグビーをなくてはならないものにすることが、それぞれの選手とクラブに課せられた使命といえる。

「ディビジョン分けを見てまず思ったのは、ディビジョン2で優勝して必ず1年で上に行く、ということ。そのためには、チーム全員で同じ方向を見て進んでいくことが大事だと思っています。そうした姿勢を、プレーヤーとして体現していきたい」

結果がすべての厳しい世界。一方でそれこそが、ずっと待ち望んできた環境でもある。存分にラグビーに没頭できる充実を噛みしめながら、岩村昂太はキックオフの瞬間に向け鍛錬を重ねている。

Published: 2021.09.03
(取材・文:直江光信)