YUKI MIYAZATO
宮里 侑樹
HO
物語は続く。
まるで映画のようなサクセス・ストーリーである。
中学までは体育館の床にシューズをキュッキュと鳴らすバスケット少年。父が経験者という縁あって高校からラグビー転向を決意するも、地域の強豪校への入学は叶わず。進んだ学校のラグビー部は、部員15人に満たない少人数チームだった。
それでも3年時に参加した早稲田大学の沖縄キャラバンで当時の監督に才能を見込まれ、国内きっての名門への進学が決まる。1年目からファーストジャージーに袖を通し、卒業後はプロ選手として三菱重工相模原ダイナボアーズへ。ワールドカップ日本大会によるラグビーブームが続く中、折しも12季ぶりにトップリーグに復帰したチームでチャンスをつかみ、ルーキーにして国内最高峰の舞台に立った。
しみじみと語る言葉に、実感がこもる。
「ラグビーを始めた頃は、まさか自分がトップリーグでプレーするとは思っていなかった。振り返ると感慨深いですね」
ワールドカップ前に行われたトップリーグカップ2019では、出場どころかベンチに入る機会すら巡ってこなかった。しかしその悔しさを胸に奮起したことで、そこから目覚ましい躍進を遂げる。同じポジションのレギュラーである安江祥光をはじめ多くの先輩に真摯に教えを乞い、ラインアウトスローイングや仕事量といった課題をひとつずつ、着実に克服。「これまでラグビーをしてきた中で一番成長できた時期」と振り返る日々を経て、半年後のトップリーグ2020では開幕節からベンチ入りを果たした。
結果的に全6試合でメンバーに入り、第2節キヤノンイーグルス戦を除く5試合に出場(うち先発2試合)。トータルのプレータイムは175分に上った。経験が重視されるフロントロー、とりわけセットプレーの要となるフッカーの1年目の成績としては、十分胸を張れる数字と言っていい。
「トップリーグはひとつの試合に込める気持ちが全然違うし、ミスをしたらすぐ代えられるという緊張感があります。そうした中で先発でも2回出させてもらって、初勝利も経験できた。6試合しかできなかったけど、自分の中ではいいシーズンだったと思います」
名だたるトップ選手がひしめく激戦リーグだけに、プレーレベルはやはり段違いに高かった。とりわけ大学ラグビーとの違いを感じたのが、セットプレーだ。
「ラインアウトはスピード感と高さ。大学では取れていたボールを相手に取られたりする。スクラムも重さがまったく違います。フィジカル面も、ディフェンスで受けてしまうことが多かった」
一方で、そこが“別世界”という感覚はなかった。
「まだまだ敵わないですけど、『これは無理だ』とは感じませんでした。メンタル的にも少しずつ緊張しなくなっていって。第2節のキヤノン戦はメンバーに入ったけど出場はできなくて、『まだ信用されていないな』と思ったけど、そこからコーチや先輩にアドバイスをもらいながら練習して、次の試合では交替で入って最初のラインアウトで後ろのボールをキープできた。それが次の試合の先発につながったと思いますし、1試合目と6試合目を比べると、少しずつ自信がついていったと感じます」
選手としての一番の魅力は、非凡なアタックセンスだ。バスケットで培った独特のフットワークとチャンスへの嗅覚は、トップリーグでも通用するという手応えがあった。初先発となった第4節東芝ブレイブルーパス戦では、鮮やかなランニングで次々にタックラーをかわし、約30メートルを独走する痛快なトライもマークしている。
もっとも印象に残っている試合には、ダイナボアーズがトップリーグで初白星を手にした第5節NECグリーンロケッツ戦を挙げた。自身はこの試合で後半22分から途中出場し、7点リードで迎えたラストプレーの自陣ゴール前での相手ボールスクラムを耐え抜いて、歴史的勝利に貢献している。
「それまでずっとスクラムがうまくいってなかったんですけど、ペナルティもできないという場面でソンさん(プロップ成昂徳)が修正してくれて、最後に耐えられた。メンバー外の選手もすごく喜んでいたし、長年在籍されてきた先輩方の思いを考えると、あの場所にいられて本当によかったなと思いました。ファンの方々にも、ダイナボアーズはやれるんだ、というのを少しは見せられたかな、と」
その勝利をきっかけにチームが上昇気流をつかみかけていただけに、新型コロナウイルスの感染拡大で9節を消化できぬままシーズンが中止となったことは、いかにも残念だった。もっとも23歳の若者は、「今年の6試合での経験をベースに、来シーズンまでの間に課題を克服する期間ができたとプラスにとらえたい」と前を向く。
「まだまだ課題が多いですし、身体も細い。特にスクラムを組んでみて上半身の弱さを痛感したので、今は体脂肪を落としつつ、上半身を厚くすることを意識しています。コロナの影響で長い間ジムが使えませんでしたが、軽い重さで回数を増やすトレーニングを続けて、少しずつ大きくなってきました」
おおらかでのんびりした性格は、生まれ育った沖縄の穏やかな環境で育まれたのだろう。「沖縄人がみんなルーズなので、自分がルーズかもわかっていませんでした。大学の寮生活で相当鍛えられたので、ラグビーに関しては大幅に改善されましたけど」と苦笑しながら明かす。故郷への愛着は強く、大学卒業後にプロの道を選んだのも、引退後は沖縄に帰ることをふまえての決断だった。
「結婚して、沖縄で子育てをしたい。まずはできるところまでラグビーをとことんやって、沖縄に帰ろう、と」
そして、そんな夢の第一歩をふみ出させてくれたクラブだからこそ、ダイナボアーズへの思い入れも強い。
「自分を拾ってもらったチームですから。まずは安江さんを越えてスタメンになること。チームとしてもトップリーグでベスト8に行きたい。今年は2年目で、新人の時とは違っていろんなことができて当たり前になってくる。去年は遠慮する部分があったので、いろいろな状況でもっと自分からコミュニケーションをとれるようにしていきます」
フッカーに転向してまだ4年目。浅いキャリアは、裏を返せばまだまだ伸びしろがあることの証だ。宮里侑樹の成長の物語は続く。
Published: 2020.07.28
(取材・文:直江光信)