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【番外編】コータローの主務日記57

忘れてはいけない。
この想いで書きました。
今、お読みいただいている皆様に心から感謝いたします。

東日本大震災から5年が経過しました。
今も尚、復興に向けて全力で前へと進む皆様に心より敬意を表します。
私は、5年前の今日、職場の倉庫で備品の整理をしていました。
突然、地響きのような大きな音とともに突き上げるような揺れに備品棚が今にも倒れそうになりました。咄嗟に外へ出ると辺りの電信柱が大きく左右に揺れ、消防用の水槽から水がバシャバシャと音を立てながら荒れ狂っていたことを思い出します。
その数分後には東北地方の大津波により多くの被害があったことを知り、更には原発の深刻な被害に多くの人々が故郷を失ったことも知りました。

「今、自分たちに何ができる?」
3.11とダイナボアーズの関係は今も尚、続いています。

ダイナボアーズには大きな被害を受けた東北出身選手が数名(藤田選手(岩手県宮古市出身)、村上選手(岩手県大船渡市線出身)、西舘選手(岩手県盛岡市出身))います。
なかでも藤田選手の故郷である、岩手県宮古市は大津波により大きな被害を受け、ご実家もその影響を受けました。
今回は、復興へと立ち向かっている岩手県宮古市出身の藤田選手と、ダイナボアーズが行っている福島県伊達ラグビースクールとの交流を通した支援を、先頭で取り組んでいる松永事務局次長にダイナボアーズと3.11についてお話させて頂きました。

真っ先に藤田選手から言われたことは「悲しく書かないでくれ。」
忘れないことはもちろん大事。
でも、前を向いて人生を歩むことはもっと大事。
そう語る藤田選手の眼差しに、地元への愛情を感じました。
「当時、自分も職場で大地震にあいました。直ぐにニュースを見ると津波の被害を報道しており、それも見慣れた景色が写し出されていました。それは実家のすぐ側だったので。なので、実家にも水がきていることは予想できました。すぐに実家へ電話しましたが、もちろん繋がらず、かなり時間がたってから家族の無事を確認できました。」
そう語る藤田選手のご実家は、案の定2階の床まで水に浸かり、1階部分は完全に浸水。
「うちはまだ良い方です。舟だとか車だとか大きな瓦礫が家にあたらなかったので家自体は大きく崩れなかったので。」
震災から間もない4月上旬に帰省。
実家はだいぶ片づけられていたものの、辺りは砂ほこりや、瓦礫が散乱していたそうです。
「実家周辺を一人で散歩しました。特に記憶に残っていることは、『津波危険 浸水区域』と書かれた看板が折れて横たわっていたこと。すごく生々しくて。海の近くに住んでいましたが、ここまで津波がくることは誰も想像していなかったと思います。地震がきてもだいたいは波が10㎝程度ということが多かったので。」
藤田選手の母校である、県立宮古高校は河川敷にグラウンドがある為、完全に浸水。
ラグビー部の道具は大多数が流され、ラグビーポールも曲がってしまう程に。
藤田選手はダイナボアーズの選手たちへ呼びかけ、着なくなった練習着やスパイクを母校の後輩たちへ送ることもしてきました。
また、2014年3月から毎年、宮古高校ラグビー部が関東の高校と試合をする為、遠征に訪れる機会があり、三菱重工相模原グラウンドにも招待し、ラグビークリニックを行っています。※残念ながら今季はスケジュール上実施できませんでした。

「ダイナボアーズらしく、自分たちにしかできない支援を」そう語るのは、この伊達ラグビースクールとの交流を先頭でまとめている松永事務局次長。
震災後、ダイナボアーズは2011年4月に仙台高等専門学校廣瀬キャンパスを訪れ、タグラグビー教室、ラグビークリニックを実施。翌月5月には宮城県を訪れボランティア活動を行ってきました。
そのような支援活動の中で、放射能の影響で安全に外で遊ぶことができない福島県県立地区の子供たちの存在を聞き、全力で楕円球を追いかけてもらいたいとの想いからタグラグビーを通した伊達ラグビースクールとの交流を開始。2012年から活動を始め、今ではダイナボアーズファミリーといっても過言ではない程に親交を深めています。
毎年春に行われているダイナボアーズ杯タグラグビー大会には、遠方地より三菱重工相模原グラウンドに招待。
2015年5月には選手・スタッフそして、相模原ラグビースクールの皆さんが福島市へ訪れ、タグラグビー大会を開催しました。
「伊達の子どもたちが『おかえり』と書いた旗を掲げて迎えてくれた時は、本当に感動しました。
今では『支援』というよりも『ダイナボアーズファミリー』としてという想いが強いです。」
そう語る松永事務局次長は、今後もこの活動を続けていくと意気込みを話して下さいました。

「子どもたちに夢と勇気を与えるラグビーチームを目指す」
ダイナボアーズのチームミッションに掲げている項目のひとつです。
試合で活躍して勝つことで、子どもたちから「カッコいい」と思ってもらい、ラグビー選手を目指してもらうこともとても大事なこと。
ダイナボアーズが想うこのミッションには、これからのラグビーを担う子供たちへ勝ち負けだけでなく、ラグビーはたくさんの人々にパワーを与えることができる素晴らしいスポーツであることを証明していきたいと考えています。
3.11を通した活動に終わりはありません。
ダイナボアーズの一員として、私もずっと寄り添っていきたいと思います。

あとがき
今日という日のことを絶対に書かなければ。一日中考えていました。
様々なかたちでの復興支援があります。
「忘れない」このことが自分のできる最大限のことでした。
多くの大切なモノを奪った大震災。
自然災害の恐ろしさを目の当たりにし、目を瞑りたくなる程の現実に深い衝撃を受けました。
当たり前にある日常は、当たり前ではないことに気づかされました。
昨日、隣に寄り添っていてくれる人が、今日には居なくなってしまうことの深い悲しみも。
私の言葉では何も伝わらないかもしれませんが、こうして3.11のことを世界中の皆さんに発信できていること、そして、ダイナボアーズに所属し、ラグビーを通して復興支援に微力でも関われていることに心より感謝いたします。
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